第一回コトナゼミ開催しました!(ログ)

■ テーマ 「僕らが小学生の頃、そして今の子どもたち」

■学生講師:渡辺龍彦(慶応義塾大学環境情報学部2年)

■ 授業ログ <イントロ>
●こどもの期間は広い。 6歳ずつで区切って(シュタイナー教育は7歳ずつ)3段階あるとする考え方など、大まかに段階をふまえて捉えるべき。性質も変わってくる。(親の気の張り具合や、行動範囲なども含めて) 今回は小学生にしぼる。今でも覚えているから。 (例外)有川さん「赤ちゃんのとき、像の置物?遊具にのって落ちて骨おったから覚えている」 <言葉の定義について>

●「こども環境」とは   
→こども環境学会の定義、その他 ・これはかなりあいまい。羅列すれば沢山挙げられる。結局、どんな事もこども環境になりうる。今回は「小学生の遊び環境」に焦点を当てる。

●「遊び」とは    
→様々な説、「あそびの王国」の3ステップ(6歳ごとの段階分け) ※必ず具体的な感覚に落として考えます。 ※「あそびの王国」:渡辺龍彦が高校2の時に作ったWebサイト。          ( (Click!) )  

●CRN ( (Click!) ) チャイルドリサーチネット所長の小林登さんの「小林登文庫―新・こどもは未来である―」の「こどもとあそびー1」というWeb小論の中でいくつか定義が紹介されている。 引用先( (Click!) )  
=>「遊び」レクリエーション、放出、おとなのたしなみへの訓練

● あそびの既存の定義(もっと詳しく!) ・『発達心理学入門Ⅰ』(無藤隆/高橋惠子/田島信元、東京大学出版、1990、)  第9章「遊び」にて、遊びのさまざまな説明、遊び行動の定義が書かれています。
・ウィキペディア―遊び― ( (Click!) 遊び) 結構詳しく書いてあります。「ホモ・ルーデンス」という社会学的な概念も紹介されています。
・『遊びと文化』山川学而  ( (Click!) )  まだちゃんと読んでないけれど、面白そう。
→これらの定義については、コトナでももっと議論したいと思います。また、みなさんもぜひ、上記のサイトや様々な文献から「あそびとは何か。」考えてみてください。このテーマは必ずコトナゼミ1~2回分使って扱いたいと思っています。
<ディスカッション1>~僕らが小学生のころ~ 「あなたが小学生の頃、どんな遊びしていましたか?自分の昔を思い返して、お互いに話し合ってみてください」
〔ポイント〕 1:楽しかった遊びは? 2:外遊びをする場所はどんな場所でしたか? 3:どんなおもちゃで遊びましたか? ※ディスカッションを受けて「僕らが小学生の頃の遊び環境」を客観視してみます。
<出てきたキーワード> 地域差、ゴミもおもちゃに、空想遊び、近所、家の中、公園、学校、レゴ、リカちゃん、ホタルちゃん、架空の犬、ゴム跳び、おかし、泥あそび、一人遊び(弟いるけど)、拾う遊び、つぶす遊び(中から出てくるなんか)、テトリス、ゲームボーイ、エアーガン、ミニ四駆
<出てきた意見>
1.いなかも西東京も秘密基地とか似たような遊び。小学校高学年の女のコは空想遊びなど、占いやシール交換が共通の遊びだったみたい。 東京都の公園でボールあそびが禁止なのは創造的な遊びを制止させる。
2.レゴ、人形、ほたるちゃん、架空の犬、ゴム飛び、  高学年になると、帰属意識、交換日記、自己紹介カード
3. エアガンについて(byワタナベ):痛みを知る、銃の簡易さとコワさから、経験として感覚軸ができるのでは。戦争玩具の除外(NPOグッドトイ委員会の方針)はいかがなものか。(ただし、立場上積極的に推奨できないであろう事はふまえて。) 花火、火遊びなども、そういった部分がある。
<ディスカッション2>~今の子どもたちの遊び環境の印象~ 「では、今の子供たちの遊び環境はどのようだと思いますか?推測でもいいので、あなたの感覚を教えてください。」(2~3人グループ) 〔ポイント〕  ディスカッション1と同じ。 <現状の遊び環境に関するデータ> ・客観的なデータを見てみます。(別紙参照)
<出てきた意見>
1. 表面的、玩具などのモノの名前ばかりが出てきている。コドモは何をしているのかわからないが、楽しそうっていうのは分かる。身体的なもの、身体性(リアルな感覚、実感を伴うものという意味?)がこのことを考えるときに重要。私たち大人の遊びも実は変化している。セカンドライフとか、ヴァーチャルな感覚になってきてるのでは。ビジネスとこどもの自由な遊びには相互作用がある。子どもが受け身になっている。遊びをつくりだしていない。(有川さん)   =>僕らの世代が既に玩具などのモノにあそびを支配されていた事を証明しているのかもしれない。あそびは「子どもとモノ」、「子どもと子ども」、「子どもと遊び場」の「間(あいだ)」に(本質が?)あるものではないか。という考察をしました僕は。笑(ワタナベ)
2. 遊ぶ場が不足、異年齢集団に入っていない。家庭環境の差による違い。創造性がないとは一概にいえない。遊びづらい環境にあることも事実。 横浜に関しては減少している(仙田満先生)。 開発都市の方がむしろ遊び場があるのではないかという仮説:都市ではいろんな目的をもった建物が点在しており、その過程で日常的な遊びが生まれる。都市の隙間。 ( (Click!) )より。 遊び場の定義がよく分からない。
=>カンボジアで貧困のなかでの遊びやおもちゃのあり方を見てくる。その上で、考えてみたい。(ワタナベ)
3. 実習で見た様子。一緒にいるのに子どもはゲームをしている。親が干渉しすぎている。場所の制限が強くなっている。友達の家でみんなで集まってメールをしていること。遊んでいるというよりは一緒にいる事に意味があるのかな。帰属意識。 ミクシィなどSNSサイトが今後子どもたちのコミュニケーションにどのような影響を及ぼすか。 玩具メーカー/ポータブルゲームの中毒性というニーズ 同種の殺しの抑制を外す訓練としてのゲームコンテンツもあり得る。/アメリカでの集団乱射事件でも反射反応能力として発揮されてしまった? 脳トレブーム/おもちゃ屋で、「脳」「知育」キーワードが多くなっている。確かなものを求めている。ブランド、科学、学者の力。親が選ぶ。 脳教育は効果があるのか?議論中。今はほとんど仮説。 大人をターゲットにした玩具商品。玩具メーカー=子どものため、という大前提が揺らいだ。
<最後に>
・もしあなたに子供が生まれたら、どんな遊び環境であって欲しいですか? ・それには具体的に、だれが(なにが)どうすれば(どうなれば)いいのでしょうか?

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