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第三回「美術教育ってなに?」ゼミ開催しました!




●テーマ:「鑑るということ」 
●開催概要● 
日時:3月7日(土) 
時間:17:30~ 場所:元住吉 会場ギャラリー柯(えだ)  
●当日の流れ● 
15:00 アトリエ5作品展子供会場鑑賞 
16:30 大人会場へ移動・鑑賞 
17:00 開場 
17:30 自己紹介、コーヒータイム 
18:00 鑑賞の感想を交えて座談会 
19:00 まとめのお話、交流会開始 
21:00 解散  


●前回までの「美術教育ってなに?」ゼミの内容●
【1回目】:イントロダクションとして、過去にどんな美術教育を受け、お絵描きに対する 自分の思い出を共有しました。特定のテーマを詳しく話すというよりは、トピックの洗い 出しをしていった回でした。 
【2回目】:1回目を引き継いでテーマをしぼり、「よく観るということ」というテーマを 設定しました。 第1回ではゼミの最中にクロッキーを描きましたが、第2回では「楽しみは~~とき」と いう短歌を作りました。参加者は学生が多かったのですが、自分たちの生活を改めて振り 返ってみるきっかけとなりました。「よく観ること」は絵を描く時だけでなく、例えば社 会の動きを捉える際にも共通して重要なことで、美術教育の枠を外したところでも通用す る大切なエッセンスであるという事を共有しました。 詳しくは前回までのレポートをご覧ください。 


●アトリエ5作品展鑑賞● 
作品展は2年に1回。作品展のために作品を作るのではなく、作りためた作品で選考会を 行っているそうです。子供会場と大人会場は少し離れた場所にあり、今回初めて意識して 違った会場づくりをしたそうです。 子供会場では小学生までの作品が一人3枚にまとまって展示されていたり、「悦子先生」 のクロッキーが年齢ごとに展示されていました。絵の他にも、フェルト、刺繍、人形、コ ラージュ(写真の切り張り)など、多様な表現手法の作品が展示されていました。大人会 場には、油絵、クロッキー等が展示されていました。ゼミの参加者は作品を鑑賞し、目に とまった作者へメッセージカードを書きました。 
●自己紹介タイム● 
前回に引き続き、今回も様々な分野の学生(おもちゃ、社会起業、教育、フェアトレード 、環境教育、保育、建築、福祉,,,)が集まりました。また、今回はアトリエ5さんの作品 展があった関係で、作品を出品している大人の方、他のアトリエをやっていらっしゃる方 、OGの方、中学生まで集まり、和やかな雰囲気でした。 
●作品展の感想を共有●
ゼミに入る前に作品展を鑑賞しているので、みなさん様々な感想を持ってきていました。 今回はそれらの感想をもとにゼミを進めたので、ここで少しご紹介したいと思います。  
★作品として展示されたものを鑑るのは中高以来で久々で、とてもいい経験となりました 。小学生はこんな絵を描くのかということを感じ面白かったです。大人会場では、すばら しい作品を前に素人の私がコメントを書いていいものかと気後れしました。どう書いてい いのか、と少し戸惑いました。 
★昔から絵はうまい、下手というものが数字に出ないので好きではなく自分の絵にしか興 味を持てずにいましたが、今日は一枚一枚面白いなと感じたので、子どものときの作品の 見方と、大人になってからの作品の見方は違うのではないかと思いました。ある作品を鑑 る時、絵と自分という二者ではなく、作者がいるということ、どういう想いで絵を描いた のだろう、という思いが生じて絵の見方が変わりました。  
★幼い子どもの絵では、「普通あり得ないもの」が絵の中にでてくるので驚きました。今 の自分はどのように 思いながら描くか、見る人にとっても描く人にとっても、それがどういうことなのか興味 がわきました。  
★描いている場にいたら面白いだろうと思い、描いている姿を想像しました。「ビックな かぶ」 という作品で茎が特にみずみずしく強調して描かれていたことが印象に残りました。  
★毎回アトリエ5の作品展に来て色々な事を感じます。今回も作品展をみて、描かれてい る悦子先生自身の変化感じました。作品のスタイルも新しい挑戦がたくさんみられました が、悦子先生のクロッキーやティッシュ箱のデッサンなど、ずっと変わらないモチーフを 扱うことも大切だと思いました。卒業した私が鑑賞しながら「自分もやったな」と思い出 せるのと同時に、何人の人がこれをやったのかと考えました。  
★自らも滋賀県でアトリエをしているため、作品展の会場でどの様にお客さんがみてくれ るか気に掛かりました。生徒さんの作品が1人につき3点あったので生徒さんの三面をみ れたという意味で満足感がありました。 作品の展示に関しても、ごちゃまぜすぎず、あっさりみることができ、充実した展覧会で した。 
★作品を2時間も集中してみることがめったになく、大変でした。私はアトリエで今習っ ていて、今回初めて展覧会に出展しました。一個の作品を作ることが大変だということが わかり、うるっとしました。作者が色んな想いを持っているということを感じました。  
●座談会● 
感想をもとに進めていった中で面白い話がたくさん出てきました。 どれも、会話のやり取りの中でうまれた話題です。主に、辻先生がおっしゃった内容をま とめてあります。
【同じものを見ているのに同じじゃない】
同じものを見ているのに同じじゃない。かぶというモチーフを自分のものにしている。見 て、触る。においをかぐ。描く対象を観るだけのときとはちがって、受けた印象や感覚が 線に反映される。 「自由に描いていいのよ。好きにしていいのよ(のびのび)」と放ってしまうのは危険で ある。専門性を持っている人(指導者)がいるのに、それでは勿体ない。表現の核に灯を ともしたら見守ればよいと思っている。  
【人形劇について】 
学生:子どもの作品展には絵だけでなく、工作や人形もありましたね。 辻先生:これらは以前、アトリエ5と劇団ひとみ座がコラボレーションし、見事実現させた 『人形劇』で用いられた作品。劇はそもそも、台本に登場する役があらかじめ決まってお り、それを演じるのが普通だけど、辻先生の考え方は違った。辻先生はまず登場人物を先 につくり、その上で、集まったキャラクターでどんな話をつくれるかをみんなで考える方 法をとった。制約として、湖周辺での話という設定のみを与えた。子どもたちが考えてき たものは皆バラバラで、関連づけるのが無理そうな案もある中、なんとかまとめてストー リーをつくった。もちろん話作りは難航したけれど、とても面白いものだった。  
【大事なことは変わらない】 
学生:「悦子先生のクロッキー」は、なぜやり続けるのか? 辻先生:クロッキーは自分の線をつかもうとする大事な時間である。短く時間を区切ると ころで、深くみることにつながる。白いところに鉛筆で線をひくことが「楽しい」と感じ 、線と自分の気持ちが一致していく。色でごまかさず、線を磨くことになる。 3歳くらいの子どもは「みてかく」ということを嫌がる。しかし、ぐちゃぐちゃの線でも 線をかくこと自体が気持ちよいと感じて、1冊のスケッチブックが終わる頃には線をかく ようになる。 ずっと対象が変わらず、「ずっと悦子先生」のほうがどの様に線を描くことを獲得したか がわかる。 背伸びをして上手に描こうとするのではなく、今の自分の線を描いていく。線が変化し、 形が変化していく。それを年齢を追って展示したことで会場の人に伝えたかった。  
【展示方法について】 
鑑賞の場として、美術館や博物館、デパートの上などがあるが、会場構成が重要である。 どの様に並べて、感じていただくかの準備と、表現する、表す技術を磨く。そうした「み せかた」に時間がなく、ウエイトがおけない現場の方が多いと思うが、私は非常に意識し ている。  
【タイトルについて】 
タイトルをつけるのは、見に来てくれるお客様に対して作者ができる”最後の誠意”だと 思う。アトリエ5ではタイトルは最後につける。 神奈川ビエンナーレ国際児童画展に、白菜の絵を出展した。大賞をとった作品の名前が「 冬野菜の王様」であった。「白菜」でもよかったのだが。言葉をみがくこと、言葉を選ぶ ことも大切で、いろんな表現をつかい、どういう想いで描いたのかを伝える最後のチャン スである。視覚的にも落ち着くようにわざとタイトルを書く紙の幅を狭くしている。  
【作品を鑑た人と、作品を作った人の交流】 
参加者の中で特に印象に残った作品についてと感想を持った人と、その作品の作者がゼミ の場にいたので二人の交流が実現しました。本来であれば、作品を作った人とみる人は話 せないことが多いので、貴重な時間になりました。とても面白いやり取りなので以下に詳 しくご紹介します。 学生:作品と自分との間に作者がいる。作者の想いがなければ描けない絵だと思った。「 思い出す冬」(油絵)をみて感じた事、想像した事、それは作者の想いと一致する事が大 切なのでしょうか。僕はとにかく、イメージとしては悲しいとか、寂しいとか、懐かしい とか、そういったものを感じた。 作者:一年前に描いた作品であるが、今回出展にあたって題名に想いを込めたいと考え、 言葉を選ぶことの大切さは辻先生から言われていました。先生のアドバイスをもとに、当 時の日記を読み返して思い出してみました。 そうすると作品を書いていた時期にその前のことをよく思い出していた。思い出している ことを思い出していたり、そのころきいていた曲や香りや空気なんかを思い出して、「思 い出す」という言葉がでてきたので「思い出す冬」という題名にしました。そういう意味 では、懐かしいというのは近いかもしれません。 感想:なるほど、タイトル自体に作者がいると気づいたのがおもしろかった。 辻先生:制作にあたって、しっかり取り組むとブレず想いがに伝わる。どんな風にモチー フと向き合ったか、余白の取り方、言葉の選び方など、しっかりやりきる。それが次の作 品をうみだすことにもつながると思う。  
【作品を「鑑ること」】 
作者の思いをくみとりながら、鑑てくれたらいいなと思う。 ピカソとかゴッホ、ルノアール等いろんな作品に出会ったときに、彼らにメッセージカー ドを書くような 気持ちでみると面白い。例えば、「あなたはこの作品にどんな想い入れがありますか?ちな みに私はこう○○に思いました」のようなこと。 画集ではなく本物をみてほしい。作者が制作時にいたのと同じ位置に立つということと、 同じ距離で作品と出会うということそれが楽しみ方ではないか。鑑賞からなにが生まれる のかは、作品を鑑る側の想像力が試される。こうして丁寧に鑑ることによってどんどん感 受性が鍛えられ、深まっていく。作者と自分とのコミュニケーションのつもりで、今日の メッセージカードと同じようにゴッホさんに、ピカソさんに・・・本人にメッセージを伝 える気持ちでみてほしい。  
●交流会フリートーク● 
交流会では、コトナで手づくりのおにぎりやお菓子を食べながら自由に語り合いました。 お集まりいただいた方々と世代を超えてお話でき、コトナとして「こども」とも「おとな 」とも対話するよい機会になりました。これで三回続きのアトリエ5さんとの共催「美 術教育ってなに?」は終了しました。参加していただいたみなさん、アトリエ5の辻先生ありがとうございました。アトリエ5さんの魅力がたくさん詰まったゼミとなりました。今後はテーマを変えながら「コトナゼミ」「お出かけゼミ」等開催していきますのでよろしくお願いします。(詳細は随時NEWSに掲載します。) 文責:安藤愛

第二回「美術教育ってなに?」ゼミ開催しました!


**************************** ●第2回『美術教育ってなに?』ゼミ開催!!●
●テーマ:「見るということ~感受から表現へ~」

●開催概要●
日時:1月31日(土) 時間:17:30~ 場所:元住吉 アトリエ5

●当日の流れ●
17:00 開場
17:30 ゼミスタート       
イントロ&自己紹介
18:00 「たのしみは」短歌ワークショップ!
18:30 座談会1時間(フリートーク)
19:30 終了、交流会開始
21:00 解散

●自己紹介タイム●
前回に引き続き、今回も様々な分野の学生(デザイン、おもちゃ、社会起業、教育、環境 政策、環境教育、保育、経済、建築、福祉,,,)が集まり、にぎやかな自己紹介になりまし た。

●「たのしみは」短歌ワークショップ●
ワークショップのイントロは、辻先生が絵本の勉強をしていた時の絵本勉強会との出会い のお話から始まりました。辻先生はその過程で山本まつよ氏の『子どもと本』という冊子 に出会ったそうです。今でも時々読み返すほど心の指針になっている冊子で、編集をなさ っている山本氏にも何度か会いに行かれたとか。銀座にある教文館の6階児童書専門コーナ ーに置いてあるそうなので、お近くに行かれた際には是非。私も早速行ってみようかな? この日は、辻先生がその冊子の中で出会った橘曙覧という歌人の「独楽吟(どくらくぎん )」という連作の試みを、私たちも体験しよう!という内容のワークショップでした。 さっそく短歌ワークショップのスタート。短歌の五七五七七のリズムに合わせ、「たのし みは(ではじまり)~とき(で終わる)」の歌をみんなで作りました。では…、恥ずかし ながら、ここで私のつくった歌を紹介します。 「たのしみは まちで偶然ともだちと アッと出会って 笑いあうとき」 こんな感じで、それぞれ自由に和気あいあい短歌にトライしました。この時点で、絵画教 室なのに、なぜ短歌??という疑問を持った人も多かったようです。(笑)ただ、それも 辻先生のお話しで意味が分かりました。 それは、「短歌でみんなの普段の暮らしの中にある楽しみをよ~くみることこそ、まさに 美術教育のエッセンスであるところの”見ること”である」ということでした。それが今回 のコトナゼミの“テーマ(ねらい)”だという辻先生の発想に、度肝を抜かれた私でした。

●座談会フリートーク●
座談会では、おにぎり(コトナで手づくり!)やお菓子を食べながら自由に語り合いまし た。その中で出たトピックは下記の様なものでした。主に、辻先生がそれに対してどのようにおっしゃっていたかも簡単に添えておきます。 【美術教育の意義について】 やわらかく鋭い感性・感度(人間としての感じるチカラ)の育成がその一つ。例えば、「出かける際に玄関で見送りをしてくれた際の母の顔のやさしい微笑み」「登校するときに見かけた道端の花の美しさ」など、日常的にきちんと受け止められずに、見過ごされてしまいがちな物事をきちんととらえる視点「=よくみるチカラ」を持てる様になる事。 【学校の美術教育がキット化されている?!】 教材も授業のプログラムもキット化したものをそのまま使っているところが多い。背景としては、美術の授業時間が削減されている事や、美術(または図画工作)専科の先生を置いていない学校が多いため、先生に指導技術の専門性が無いことなどがある。これによって、本来行なわれるべき創造的な美術表現の経験が制約されてしまうのではないか。 【抽象画とシュールレアリズムの違いってなに?】(三角/コトナ) ・抽象画は現実には存在しないモノ。シュールレアリズムの世界は現実的ではない状況を描く。って事。もちろん両方が混合したものもある。そんな感じじゃないかな??(by渡辺/コトナ/) ・アトリエ5でやる空想画のイメージはそんなに難しく考えていない。ただ自分の中の言葉にならないもの、例えばオルゴール、音楽、詩をみんなで聞いた時の感覚やイメージを表現してみるという機会があるだけ。絵の本質(何を表現するか)はその子自身が考えること。 【描いた絵を飾ることが大切】 描いた絵を飾る事で、他人の目に触れる事ができる。家庭で飾る習慣をつけて欲しい。家族や友人など、周囲の人の「鑑る目(次回のテーマ)」を育てる事にもなる。その作品の向こうに作者を見ようとするチカラは、いろいろな場面で大切な事。また、子ども同士で描いた絵を共有する事で他人の表現方法や世界観に刺激を受けたりする事も大切。   【絵を描く時の必然性、ものがたりが重要】 例えば、花を描くとしても、その花が咲いた過程を話したり、その季節を感じられるものを描く方がいい。一年中色の変わらない造花やリンゴを描いても「よくみるチカラ」はつかない。ただ一方で、技術的なトレーニングのために、必然性がないモチーフが必要な時もある。 【お友達の真似について】 他人の表現に影響を受けること自体は悪い事じゃない。ただ、その表現を借りてきて楽をしないこと。他人の表現に流されないためにも、それを自分のものにした上での「自由な表現のための技術」が必要。 ※アトリエ5では小学2年生から、技術的な土台づくりのために鉛筆デッサンを習います。 など…、一見内容だけ見ると真面目そうな雰囲気ですが、 実際は、ゆるーく 楽しーく、美術について話し合いました★ みんなお話しは絶えないので、そのまま交流会…!! こんなふうに様々な分野の方とお会いできる機会ってめったにないし、刺激的で面白い。 そして、参加して下さった人は、みんないいひとで親身に話しを聞いてくれる。 とても、あたたかいゼミでした。 今回参加できなかった方も、連続参加して下さった方も、是非次のコトナゼミに参加して くださいね。きっと、新たな発見や面白さと素敵な出会いがあると思います。 しかも、第三回は3/7(土)「アトリエ5作品展」会期中にて開催です!! (詳細はNEWSに掲載します。) 乞うご期待!! 今回は、楳図かずお氏と同じ誕生日の久世彩子がレポートさせていただきました。 ****************************** 久世彩子

第一回「美術教育ってなに?」ゼミ開催しました!


今回初めてコトナのゼミに参加させて頂きました。 そしてその日にコトナメンバーにも入れてもらっちゃいました☆ そんな新メンバー大坂里菜が、コトナ初のおしごととして今回のゼミのレポートを書かせていただきます。  
● 開催概要●   
日時:11月29日(土)  
時間:18:00~20:00(21:00まで交流会) 
場所:元住吉 アトリエ5(絵画教室)  


● 当日の流れ●  
17:30~開場  
18:00~イントロ 能城さんのエチオピアコーヒーをのみながらだんらん&自己紹介  
18:30~クロッキー(まず10分間真剣にえつこ先生を描写し先生からお話を聞く。その後全身を描くというお題でもう一度10間描写)  
19:10~座談会  
20:00~軽食&交流会  


●自己紹介タイム●  
今回は様々な分野の学生(デザイン、教育、フリーペーパー制作、保育、コーヒー、おも ちゃ、社会起業、建築、福祉,,,)が集まっただけでなく、滋賀県で絵画教室を開かれてい る方や、サイエンス&アートの研究者の方なども一同に会し、自己紹介を聞くだけでもお もしろかったです。多様な切り口で一つのテーマを一緒に考える。コトナの活動のおもし ろさはココにあります。(渡辺) 


● クロッキータイムについて●  
私は途中参加だったのでこの絵を描くところから参加したのですが、こんなに集中して絵を描いたのはとても久しぶりでした。鉛筆の使い方やどこからかけばいいのかなど最初は戸惑いましたが、描くことは良く「みる」事なんだ!!!と体感しました。とにかく 顔の作りや手足の動き、服のしわや靴下の柄、スリッパの縫い目などこんなに人 を良く見たのも久しぶり…とうか初めてなんじゃないかという感じです。 また、私たちが生きている社会や人間関係なども全く同じで、「よくみること」が大事だという言 葉がとても心に残りました。  


● ディスカッションの流れと内容、トピックス● 
座談会では小中高での美術教育の思い出、エピソードを一人ずつ話しそれに対してみんなで話しあいました。まず鉛筆で真剣に絵を描くという体験が久々な人も 多く盛り上がり、それから自分の経験を語りあいました。具体的に、下記のようなトピックがありました。 ・ 自由に絵を描いた幼少時代と評価を気にし始めた学生時代の絵に対する意識の変化。 ・ 小さい頃は絵が好きだったのになぜ今は描かなくなったのか。 ・ 技術と表現の関係。 ・ 自由な美術教育と無関心な美術教育の違い。 ・ 絵のタイトルや言葉の大切さ。 ・ 美術教育(図画工作)の時間削減の問題 ・ 出来上がった作品から読み取るということ(理解•対話) などなど…話していくうちにどんどん昔の事を思い出し、時間を延長する ほど盛り上がっていました☆★  


交流会はこどもや美術という分野のみならずさまざまな分野を研究している方々と自由にふれあえる貴重な時間。おにぎりとからあげをいただきながら、和気あいあいと話しました。自分が今まであまり関わったことのない分野、普段だったら話す機会がないような方々ともラフに話したいことを話すことができたのでとても楽しかったです☆

第一回コトナゼミ開催しました!(ログ)

■ テーマ 「僕らが小学生の頃、そして今の子どもたち」

■学生講師:渡辺龍彦(慶応義塾大学環境情報学部2年)

■ 授業ログ <イントロ>
●こどもの期間は広い。 6歳ずつで区切って(シュタイナー教育は7歳ずつ)3段階あるとする考え方など、大まかに段階をふまえて捉えるべき。性質も変わってくる。(親の気の張り具合や、行動範囲なども含めて) 今回は小学生にしぼる。今でも覚えているから。 (例外)有川さん「赤ちゃんのとき、像の置物?遊具にのって落ちて骨おったから覚えている」 <言葉の定義について>

●「こども環境」とは   
→こども環境学会の定義、その他 ・これはかなりあいまい。羅列すれば沢山挙げられる。結局、どんな事もこども環境になりうる。今回は「小学生の遊び環境」に焦点を当てる。

●「遊び」とは    
→様々な説、「あそびの王国」の3ステップ(6歳ごとの段階分け) ※必ず具体的な感覚に落として考えます。 ※「あそびの王国」:渡辺龍彦が高校2の時に作ったWebサイト。          ( (Click!) )  

●CRN ( (Click!) ) チャイルドリサーチネット所長の小林登さんの「小林登文庫―新・こどもは未来である―」の「こどもとあそびー1」というWeb小論の中でいくつか定義が紹介されている。 引用先( (Click!) )  
=>「遊び」レクリエーション、放出、おとなのたしなみへの訓練

● あそびの既存の定義(もっと詳しく!) ・『発達心理学入門Ⅰ』(無藤隆/高橋惠子/田島信元、東京大学出版、1990、)  第9章「遊び」にて、遊びのさまざまな説明、遊び行動の定義が書かれています。
・ウィキペディア―遊び― ( (Click!) 遊び) 結構詳しく書いてあります。「ホモ・ルーデンス」という社会学的な概念も紹介されています。
・『遊びと文化』山川学而  ( (Click!) )  まだちゃんと読んでないけれど、面白そう。
→これらの定義については、コトナでももっと議論したいと思います。また、みなさんもぜひ、上記のサイトや様々な文献から「あそびとは何か。」考えてみてください。このテーマは必ずコトナゼミ1~2回分使って扱いたいと思っています。
<ディスカッション1>~僕らが小学生のころ~ 「あなたが小学生の頃、どんな遊びしていましたか?自分の昔を思い返して、お互いに話し合ってみてください」
〔ポイント〕 1:楽しかった遊びは? 2:外遊びをする場所はどんな場所でしたか? 3:どんなおもちゃで遊びましたか? ※ディスカッションを受けて「僕らが小学生の頃の遊び環境」を客観視してみます。
<出てきたキーワード> 地域差、ゴミもおもちゃに、空想遊び、近所、家の中、公園、学校、レゴ、リカちゃん、ホタルちゃん、架空の犬、ゴム跳び、おかし、泥あそび、一人遊び(弟いるけど)、拾う遊び、つぶす遊び(中から出てくるなんか)、テトリス、ゲームボーイ、エアーガン、ミニ四駆
<出てきた意見>
1.いなかも西東京も秘密基地とか似たような遊び。小学校高学年の女のコは空想遊びなど、占いやシール交換が共通の遊びだったみたい。 東京都の公園でボールあそびが禁止なのは創造的な遊びを制止させる。
2.レゴ、人形、ほたるちゃん、架空の犬、ゴム飛び、  高学年になると、帰属意識、交換日記、自己紹介カード
3. エアガンについて(byワタナベ):痛みを知る、銃の簡易さとコワさから、経験として感覚軸ができるのでは。戦争玩具の除外(NPOグッドトイ委員会の方針)はいかがなものか。(ただし、立場上積極的に推奨できないであろう事はふまえて。) 花火、火遊びなども、そういった部分がある。
<ディスカッション2>~今の子どもたちの遊び環境の印象~ 「では、今の子供たちの遊び環境はどのようだと思いますか?推測でもいいので、あなたの感覚を教えてください。」(2~3人グループ) 〔ポイント〕  ディスカッション1と同じ。 <現状の遊び環境に関するデータ> ・客観的なデータを見てみます。(別紙参照)
<出てきた意見>
1. 表面的、玩具などのモノの名前ばかりが出てきている。コドモは何をしているのかわからないが、楽しそうっていうのは分かる。身体的なもの、身体性(リアルな感覚、実感を伴うものという意味?)がこのことを考えるときに重要。私たち大人の遊びも実は変化している。セカンドライフとか、ヴァーチャルな感覚になってきてるのでは。ビジネスとこどもの自由な遊びには相互作用がある。子どもが受け身になっている。遊びをつくりだしていない。(有川さん)   =>僕らの世代が既に玩具などのモノにあそびを支配されていた事を証明しているのかもしれない。あそびは「子どもとモノ」、「子どもと子ども」、「子どもと遊び場」の「間(あいだ)」に(本質が?)あるものではないか。という考察をしました僕は。笑(ワタナベ)
2. 遊ぶ場が不足、異年齢集団に入っていない。家庭環境の差による違い。創造性がないとは一概にいえない。遊びづらい環境にあることも事実。 横浜に関しては減少している(仙田満先生)。 開発都市の方がむしろ遊び場があるのではないかという仮説:都市ではいろんな目的をもった建物が点在しており、その過程で日常的な遊びが生まれる。都市の隙間。 ( (Click!) )より。 遊び場の定義がよく分からない。
=>カンボジアで貧困のなかでの遊びやおもちゃのあり方を見てくる。その上で、考えてみたい。(ワタナベ)
3. 実習で見た様子。一緒にいるのに子どもはゲームをしている。親が干渉しすぎている。場所の制限が強くなっている。友達の家でみんなで集まってメールをしていること。遊んでいるというよりは一緒にいる事に意味があるのかな。帰属意識。 ミクシィなどSNSサイトが今後子どもたちのコミュニケーションにどのような影響を及ぼすか。 玩具メーカー/ポータブルゲームの中毒性というニーズ 同種の殺しの抑制を外す訓練としてのゲームコンテンツもあり得る。/アメリカでの集団乱射事件でも反射反応能力として発揮されてしまった? 脳トレブーム/おもちゃ屋で、「脳」「知育」キーワードが多くなっている。確かなものを求めている。ブランド、科学、学者の力。親が選ぶ。 脳教育は効果があるのか?議論中。今はほとんど仮説。 大人をターゲットにした玩具商品。玩具メーカー=子どものため、という大前提が揺らいだ。
<最後に>
・もしあなたに子供が生まれたら、どんな遊び環境であって欲しいですか? ・それには具体的に、だれが(なにが)どうすれば(どうなれば)いいのでしょうか?